ゼロへのカロリー

年末年始のゴタゴタからようやく抜け出せたかと思えば、今度は今月末の引っ越しの為に荷造りをしなければならない。ちょうど休みだから今のうちから手を付けようと思い帰宅するも、夜勤明けのおかしなテンションで餃子を30個焼いてしまい、もう何もしたくなくなってしまった。

ああ、休日が終わっていく。夕暮れもサザエさんのエンディングもあったもんじゃない。込み上げてくる黒焦げのニラ餃子と胃液を堪えながら、クレジットカードの領収書に埋もれてこのまま泥のように眠るほかない。おれのような人間は自炊をするべきではないし、安易にクレジットカードなんて作るべきではないと思う。たぶん明日には忘れているけど。

引っ越しの話に戻そう。この部屋で過ごしたのは大体1年半くらいだ。初めての一人暮らしを経験した部屋だが、別に名残惜しいとかそういうのは無い。最後まで慣れなかったし、なんなら自分で買い揃えた家具にもこれっぽっちも愛着がない。引っ越しの時に全部捨ててやろうかと思っている。布団もついでに捨ててやろうか。これからの時代は寝袋ですよ。もう新しい引っ越し先の部屋は物置にして、車中泊にしようか。それがいいかもしれない。桜玉吉みたいになろう。

お察しの通り、今、何も考えずに文章を書いている。要は酔っているのです。引っ越しまでに、買い置きしていた酒を飲んでしまおうと、紹興酒を開けた次第です。初めて飲んだけど、おれにはあまり合わないようです。どうして買ってしまったのか、もうだいぶ前のことなので

覚えちゃいない。考えなしに行動するからだ。負の遺産というやつだ。

そうだ。荷造りが億劫なのは、扱いに困るものが多いのもある。三脚でスペースを取る、妙にかっこいい部屋干し台(乾燥機があるのでいらない)。勢いで買ってもうやってない格ゲーのアーケードコントローラー。田舎味噌。友達から五千円で買ったエアーコッキング式のショットガン。「働いたら負け」Tシャツ(LL)。半額のもろみ味噌。

なんだか1年半の間に、いろいろ溜め込んだものだ。これら全部負の遺産といっていいかもしれん。まあでも、こうして、いらないものたちと出会ったりしながらここで過ごしてきたのだなあと、しんみりする。こうやって、たくさん間違いながら、人は生きていくんだなあ。ゴミクズのおれでも、誰かの思い出から捨てられるとき、せめて、こんな人がいたなあと、ほんの少しでもしんみりしてもらえるようになりたい。高望みはしないから、そんな負の遺産でありたい。

休日が終わっていく。

来年のこと

来年のことを考えていた。

年末のことも考えていたけど、納めることが見当たらないので、年末の独特な空気感に騒ぐ世間の流れにうまく乗れずにいた。

 

自己研鑽に費やした一年であれば、この一年を振り返った時に湧き上がる感慨の一つや二つあったろう。一年中だらだらしていたおれにその権利がないのは当然だ。

まあ今年の目標は「なるべく気を張らない」だったので、目標どおりに過ごせてはいたのだけど、そんな一年だったから、おそらく達成感が欲しいのだと思う。そして努力の跡が形として残ることを望んでいる。

 

自分でも浅はかだなあとは思うが、もうすぐ年始なので、馬鹿馬鹿しいと打っちゃるにはもったいない。1年の計は元旦にありと言いはすれど、ぶっちゃけみんな年末のうちに企みは終えているのだ。そうに違いない。過去を振り返った時に、いっしょに未来を想像しないことはないから、みんなが一斉に浮き足立ってしまう。年末年始の独特な空気とはそういうことなんだろう。

何をしようかな。優柔不断なおれはきっと、年が明けるまで来年のことを考えている。

ライフ

中途半端な時期に実家に帰り、一泊だけしてまた戻ってきた。車を乗り換えるためだ。

 

これまで乗っていた、自分にとって初めての車は、車検が通らない故障があるとかで、ちょうど父が安い車を見つけてくれたものだから、つい二つ返事で了承してしまった。

 

初めてのマイカーは小さくて古く馬力もない軽四であったが、車が無いと不便な地方であったから、毎日乗るうちにそれなりに愛着が湧いてきていた。しかしいつかは別れが来るものだ。それが数年早まっただけで、走行中に突然壊れてしまうよりはマシであろう。そう自分に言い聞かせた。

 

最後の運転なのだから、高速道路で最短距離を行くより、国道をたっぷり時間をかけて帰ろうと思った。

ところが急遽部屋を掃除しなければならなくなり、手間取っていると夜が明けていた。のんびりと国道を走る時間もなくなり、仕方なく高速に入った。

 

数ヶ月ぶりの地元は、変わっているものもあれば変わっていないものもあった。小さい頃から続いている道路工事がまだ終わっていなかったり、信号ができていたり、しばらく会っていない従兄弟の近況を聞いたり、思わぬところで中学時代の友達に出くわしたりした。

それなりに慌ただしい二日間だったと思う。

 

新しい車は、これまで乗っていた車に比べて比較的新しく、馬力もあったし燃費も良かった。

前は直接キーを挿し込んで回さなければドアも開けられなかったのに、今の車はキーを挿さなくてもエンジンはかけられるし、キーを持っていればドアに近寄るだけで自動でロックも解除される。

前の車ではアンテナが早々に折れ、受信できなかったラジオが今は聴き放題だ。

 

不慣れなボタンやレバーの位置に四苦八苦しながら高速道路を使って帰った。シートも以前より柔らかくて疲れにくく、こまめに休憩する必要がなくなって比較的早く帰ることができた。

ガソリンの消費量も、目に見えて違う。

 

持たされたカップ麺たちを抱えながら部屋に戻ると、掃除されたばかりのきれいな部屋がなぜか、とても居心地が悪かった。散乱していたゴミや漫画や服がないため、わずかに残された定位置というべきものがブレていた。

 

明日も朝早いのに、眠ることができず、この二日間のことを考えていた。実家に向かう際の、最後に乗ったあの車。徹夜での運転はまずいと、途中のサービスエリアで仮眠をとったとき、首と肩と尻が痛かった。けれど、その時の入眠は非常にすんなりと、落ち着いていたと思う。

 

眠れないので、持たされたカップ麺を、深夜にもかかわらず作ってしまった。明日も朝早いのに。

 

食べ終わった空容器を、片付けずに布団に入ってしまいたかった。でもきっと眠れずに、朝を迎えてしまうという予感があった。明日はきっとひどい顔で仕事をして、そのあとぐっすりと10時間は眠るだろう。しかしそれは睡眠不足と疲れからの眠りだ。ほどよい疲れは睡眠にも生活にも大切だというが、できればそんなものに頼らずに、毎日を穏やかに眠りたいと思った。

クールランニング

たいていの家庭では一度くらい、冷えた味噌汁を飲む機会があるかと思う。朝寝坊をして食卓に行くと、冷えた朝ごはんが、ハエ避けや手頃なチラシなんかに覆われている。

おれの家では平日の朝はいつまでも起きないでいると強制的に叩き起こされるので冷えた朝ごはんにありつく事はまずないのだけど、一年に一度あるかないかくらいの割合でたまにそういう時がある。その時に、冷えたご飯を冷えた味噌汁に入れてかっこむのが何気に好きだったりする。

 

寝坊をしているのだからゆっくり味わう暇はないものの、いつもの献立がまったく違う食べ物のようになる。あったかい味噌汁とご飯ではこうはいかない。美味しんぼで読んだが、冷えた味噌汁やご飯は甘みが増すらしい。そのせいかもしれない。

 

一人暮らしを始めてから、自分でその冷えた朝ごはんを再現しようとしてみたことがあるが、これがなかなかうまくいかない。

まず炊飯器が現状戦力にならない(1年くらい使っていないので抵抗がある)ので手鍋で米を炊くことになるのだが、鍋蓋もまた戦力にならない(紛失しました)。

実際やってみるとお分かりになるかもしれないが、米全体に均一に熱が通らなかったりして、焦げてバリバリのものか雑炊に似たようなまがいもののどちらかができあがる。

炊くというより煮込むという表現が適しているかもしれない。相手が生米であっても煮込むというスタンスを崩さない手鍋には敬意を表したい。だが今はもう、そういう時代ではないのだ。君は過去長い間自炊に貢献してくれたし、私としても甚だ残念ではあるのだが、君には明日から木綿豆腐のにがり捨て場として働いてもらう。これからの時代(しゅしょく)は冷奴なのだ。すまんな。

それでまあそのまがいものを冷やすとなると、あまり美味しくないんぼになるので、諦めてカレー粉を投入し煮込んでそこそこ美味しんぼに戻すという情けないムーブをすることになる。ちなみに撤退のタイミングを見誤り、冷えた味噌汁を投入するとぜんぜん美味しくないんぼになるので注意されたし。

 

次の休みに車を乗り換えるため実家に帰るのだが、冷えた朝ごはんが食べたいと言ったら複雑そうな顔をしそうだから気が引ける。冷えた朝ごはんというワードは一見寂しいようで、実際は朝ごはんを作ってくれてさらに自分のために置いておいてくれるきちんとした環境がないと成立しないので、優しさに溢れているような気がしてくる。一人暮らしをしていると、特に。

ちなみに家族でインド料理を食べに行く話が進んでいる。楽しみだ。

サイボーグ戦士

気がつくと何日も日記を書いていない。日記を書かないのは日常にとくべつ思う事が無いからなのだけど、つまらないことだって書いていいのだ。

 

日記だから、今日食べたものや見た映画や天気のことだって書いていいに決まっているしそうと決めるのも書くのも自分自身だ。つまらないことを書いたっていい。本当のことだからどうしようもないことだし。

 

じゃあ何で日記を書かないのかというとそれは単におれがものぐさな性格でちょっと面倒くさくてサボっていたという理由でしかない。ただそれだけ。それだけのつまらない理由をわざわざ書いたっていい。日記なのだから。

誰かに怒られるわけでもないし、誰かの為に誰かの顔色を伺いながらするのではない、純粋に自分の為に何か書こうと始めた日記なので、自分が消化できれば面白い内容を書かなくったってどうでもいい。

真面目な話は苦手なのでもうやめます。

 

 

最近は、そう、車を近々乗り換えるハメになった。今の車に愛着が湧いてきたというのに、あと1週間ほどで引き離されてしまう。

次に乗る車は今より新しいけど、格好いいとかは思わない。でも乗れる車がそれしか無く、おれに拒む権利はない。乗っているうちに、同じように愛着が湧くのだろうか。自信がない。

初めての自分の車だったから気に入っていたし、もっと長く付き合っていきたかった。もしかしたらそのことで落ち込んでいたから、日記を書く気力がなかったのかもしれない。そういうことにしておこう。

 

餃子の王将で遅めの昼を食べていたら、付け合わせらしき卵スープが付いてきた。何度か店には行ったが初めて見た。焼きたてのアツアツの料理のなかで、卵スープは人肌に暖かく、猫舌のおれにはとてもありがたかった。

ラー油の入った細長い容器が、ボトルと内容物の色味を合わさって、友達の家のボディーソープにとても似ていた。

ささくれた火

先輩からマッチをもらった。根元をちぎって、固い擦過部とパッケージの蓋でマッチを挟み、引き抜くことで点火するタイプのものだ。要はガムの「Fits」みたいな感じ。

 

マッチを日常で使う場面はごく限られる。実家の仏壇のロウソクに火をつけるくらいだ。それすらもライターやチャッカマンで事足りるし、その方が安全だ。スーパーのレジの前に陳列されている昔ながらの大箱は、買い手がいないのかたいてい埃を被っている。どこかでマッチの製造メーカーが生産をやめたという話も聞いた。理科の授業でアルコールランプに火をつけた時の興奮を思うと少し寂しい。理科が楽しかったのはあれが最後かもしれない。

 

おれも先輩も寮住まいなのでロウソクもアルコールランプもあるわけもなく、使いみちはもっぱらタバコに限られる。ライターより不便なものの、ライターにはない擦過音と木の燃える臭いで新鮮な気持ちにさせてくれる。良いものを貰った。

 

マッチを使うという行為は、もはや非日常に片足を突っ込んでいる状態だ。だからこそ新鮮味があって楽しいのだと思う。このご時世にわざわざマッチを使うだけで、古い映画の登場人物のような、キザったらしい演出を手軽に味わうことができるのだ。楽しくないはずがない。それくらいに非日常になっている。あるいはみんな、マッチを擦るたびにアルコールランプを思い出しているのかもしれない。

 

そういえば、とカバンを漁ってみると、ビジネスホテルのマッチが出てきた。中身はほぼ使っていないので大量に残っていた。

先日飛騨などに旅行に行ったとき名古屋で一泊したホテルのもので、淡白なデザインだが見ていると旅行のことを思い出すことができる。日常のなかでマッチを目にする機会が無くなったことで、お土産のペナントや置物のように、思い出に浸れるアイテムになりつつあるのかもしれない。

いつかラブホテルのマッチを突きつけられて浮気を問い詰められてみたい。

ダミー・バー・ヘッド

開け放した窓から空を見上げたら、蜘蛛の巣を見つけた。ふと手を伸ばすものの、何度やっても空を切る。

はて。どうやら空に巣を張っているようだ。戦闘機が引っかかっている。脱出したパイロットは、やはり蜘蛛の糸に絡め取られていて、むしゃむしゃと食べられた。

食べカスが地上に降る。あの辺りはスラムのはずだ。といっても、ここらはどこもかしこもスラムなのだけれど。スラムに、血とヘルメットの雨が降る。きっとみんな、怯えてすくむ。露店の屋根に穴が開き、くず肉のスープがひっくり返る。

次に戦闘機がスラムに降った。蜘蛛が、その8本ある足のうち3本を器用に動かして、蹴落とした。戦闘機は頭から地上に打ち付けられて、バラバラになる。スラムもまた、戦闘機に打ち付けられて、バラバラになる。頭から血を流して泣く子供。ひっくり返ったスープが冷めていく。墜落現場では、運よく生き残ったものたちが、運よく生き残ったパーツを持ち帰っていった。シートの綿のひとつまみも、割れた計器の針のいっぽんも、余さず全部持っていった。あっという間に、骨組みすら運ばれていって、そこには崩れた石畳だけが、食べカスみたいに散らかっていた。

ふと空を見上げると、蜘蛛が蹴落とされていた。大きな花火が咲いて、なのに、不発弾みたいに、蹴落とされた。けばけばした、縞模様の、風船のように丸い腹が。音もなく、ぐずぐすと、ゆるゆると、けど確実に、スラムに降り注ぐ。僕らはみんな、何も言わず、ただそれを見ていた。

スラムじゅうの、屋根どころか建物全部を突き破り、くずな僕らはたちまち潰されてしまうだろう。もうすぐ蜘蛛と僕らと、怪しい肉の血のスープが、スラムの壁の中いっぱいに注がれる。僕らの世界が、ひっくり返る。子供の泣き声が聞こえる。