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ハリボテエナジー

 効率的な配置のされたこの棒っきれは、雨風も凌げないハリボテであるにも関わらず一人前に塔の名を冠している。鋭く天を刺すような頂きはあらゆる人間を拒み、塔に登ることの単純な高低差というイニシアチブや恩恵を得ることを許さない。唯一の材料である鉄鋼の冷たさも相まって、日常を遠くさせる非日常の特等席は自分一人のものであるという頑なな意思を感じさせる。大地を薄皮一枚摘み上げたようにそびえ立つそれが、一体いつからここにあるのかは誰も知らない。ただ、夕陽に映えた空っぽの塔は見るもの全てに寂寥の感情を植えつけた。
 後に鉄塔と呼ばれるそれと初めに接触したのは幼い兄弟だ。ランチボックスでも開きたくなるような気持ちの良い原っぱに鎮座した未知は、あっという間に少年たちの心を鷲掴みにした。少年の小さな心臓を無限の好奇心が蹴り上げてキックスタート。バクバクと音を立ててエネルギーを生み出す。本能のままに一歩、また一歩と踏み出す二人だったが、弟の鋭敏な自己防衛の触覚が、逆立つウブ毛とぴりつく緊張を感じ取りかろうじてその場に留まる。だがその魔性に魅せられた兄の歩を止めるものはなく、丸々とした赤い指はついに、想い人の冷たい背中を撫でた。
 直後、兄を貫ぬく拒絶の声が辺りに響き渡る。牛追い鞭の空を打つ破裂音に似た衝撃は、華奢な少年の体を容赦なく突き飛ばした。きりもみ状態で大地を滑るように疾走。三度のバウンドを経てようやく地に足のついた兄の背中からは白の帯がたゆたう。それはけして興奮のあまりに上気した純粋さから来るものではなく、ほどなく風に乗ってきた肉の焼ける匂いに弟は言い知れぬ恐怖でぐずり始めた。対する鉄塔は何事もなかったかのように揺るぎなく、残る弟を見下ろしている。その目は試しているのか、侮蔑のそれか、それとも無関心か。弟はひとり、神罰を目の当たりした。
 兄弟の家族を中心に、鉄塔のある野原から一山越えたところに碑が建てられた。それは兄の魂を鎮めるものであり、鉄塔の許しを乞うものだ。子供のやったこととは言え、彼女(性別不明)はいわば先住民で、我々は無神経なアウトサイダーに過ぎない。人知を超えた力に人間の出る幕はなく、人々は碑を建てることでなんとか事なきを得ようという思考放棄を選んだ。孤独な彼女のご機嫌とりのためにと、碑は鉄塔の姿を模して造られた。人間側の勝手な妄想の押しつけに、ひとりになった弟は反対したが、両親は優しく諭すようにしてまともに取り合わなかった。
 碑が完成した明くる朝、彼女は文字通りのハリボテである碑に手をかけていた。オリジナルの彼女と似せられた彼。鉄塔に比べればとても釣り合わないほどに碑は不恰好だったが、黒く細い糸が互いを結び、希薄ではあるが確かな関係を見せつけている。鉄臭い謎の生命体が触手を伸ばしているように見えなくもない。わずかに弛んだ吊り橋の上で、コマドリたちのシルエットは時折首を回すだけで微動だにしない。手をかけられたのか、手を取り合ったのか。ハリボテに宿る兄の魂が繋がりを望んだのか。やはり彼女は仲間が欲しかったのか。大人たちはその是非を考えるものの、出る答えはどれも「わからずや」の主張だった。正解の出ない不毛な論争。嫌気のさした弟はひとり、変わり果てた兄を見上げる。兄もまた自分を見ている気がした。はたして兄が幸せなのか後悔しているのか。それを知る弟の魂は、またもや思考放棄した大人たちの手で、兄と同じ彼女のレプリカをあてがわれた。それでもいい。翌日にはあの日のようにまた手を繋いだ。
 
しばらくして学者が、鉄塔のことを研究しにやってきた。長年にわたり犠牲者を出しながらも進められたプロジェクトの末、地方の天才の力を借りることで、その大きなエネルギーを取り出すことに成功した。手の内に淡い光をもたらす神のような力は電気と名づけられ、その後の人類の生活を大いに向上させることになる。
味をしめた資産家たちが合理だけの空虚な塔を、金にものを言わせて建てまくった。何も言わず平等に手をかける彼女。東西南北を駆け巡る血管は、数ある鉄塔全てに生を吹き込む。だが捉え方によっては、黒の触手に侵されて同列化された感染者ともいえる。路線図のように端まで繋がりを持った鉄塔たちは、全てが彼女の仲間となったのか、それとも全てが彼女なのか。物言わぬ彼女を前に私たちは知る由もない。
彼女の電気エネルギーは有限らしく、拡大する市場に対して供給不足になることは少なくなかった。しかしその度に建屋が新しい鉄塔と併設され、中ではとても立ってはいられないほどの熱風が黒いダイヤを洗った。すると接続された鉄塔から彼女は熱エネルギーを受けることで、どういうわけか変換して自身からまた電気を出し始めた。あらゆるエネルギーを喰らい電気を吐き出す、いや、生産されると言うべきか。彼女が彼女だった時間は終わり、産業の一つとして良いように管理される蚕と何ら変わらなくなった。彼女が生きているか、意思を持っているかなんて誰も気にしなかった。
 彼女と私たちが初めて出会った春から、何百回目かの春。兄弟が原っぱで見上げたオリジナルの正確な場所は分かっていない。ただ、その姿は心奪われるほどに美しいと聞く。サッカー場のやや固い人工芝に靴底を沈めながら、丘の上の鉄塔を見やる。ハリボテを繋ぐ鋼鉄のリベットと目が合った気がした。