ヴァイオレット・パープル

身体を壊してしまったという友人宅へ見舞いに行ったが、友人は居なかった。部屋の電気は付けっ放しにされていて、まったく日の当たらない立地と生活感の希薄さのせいですこし肌寒い。どこか買い物に行ったのだろうと思い持ってきた本を読みながら部屋で友人の帰りを待つことにした。

それから、床の感触を意識するようになった頃、西側の壁に掛けられていた、赤い卵黄の色をした派手なシャツが目についた。夜の闇も届かぬこの部屋に出現した、偶像としての夕暮れ。この部屋で見ることのできる唯一の景色だ。きっと毎日時計を手にして、そこに太陽があるのだと信じていたことだろう。数字だけが指標の、宇宙船の中での生活は、さぞ気の重いことだろう。

重い腰を上げてシャツを手に取ると、奥の壁に、硬貨サイズの穴がぽっかりと開いていた。不思議に思いながら覗きこむとそこには、よく晴れた夜空がどこまでも広がり、無数の星を数えることができた。きっと友人はこの夜に居て、帰ってこないのだと私には分かった。今まで見れなかった星を隅々まで眺め、考えることも考えずにただひたすらを過ごすだろう。それは友人にとって今一番必要なことであるような気がする。

ただ私としても、せっかくこうして見舞いに来たのだから、せめて何かしてやりたい。しばらく考えたのち、私は手土産に持ってきていた白い酒蒸しの饅頭をちぎり、欠けらを穴から中へ入れてやった。もう一度穴を覗きこむとそこには、先ほど見た夜空の星々に交じって、断面が不揃いの三日月が浮かんでいた。そして、逸る気持ちでじっとその月を見つめていると、やがて私の目論見通りに、断面が少しずつちぎられていくのを認めた。

この夜の下で友人が、月に手を伸ばし、舌で刮ぐようにちびちびと饅頭を味わってくれている様が見えるようだった。役目を果たしたことで満足した私は、壁に背を預け、穴から漂う餡の甘い香りの中で読書を再開した。時おり向こうの様子を伺いながら、その日は夜明けまで部屋で過ごした。