合流

comitia125で頒布した同人誌「ウルトラB」の一編です

 

 

  外回りのときによくサボりに使う喫茶店がある。客はまばらで店内はいつも日陰になっているし、会社からも遠いので居心地が良かった。

 通りに面した席からはオフィスビルと居酒屋の間に生まれた空き地が見える。空き地はがんばれば車2台分くらいのコインパーキングにできそうな広さだったけど狭い路地にあったので運良くそうならずに空白のままだった。

 見捨てられた空き地にはふしぎなことに、OLから作業員や男子中学生までさまざまな人が来る。性別も年齢もちがう彼らは、皆一様にして隠れるようにタバコを吸いに来るのだった。

 私は日陰の喫茶店からそれを眺めて、勝手に彼らの生い立ちなんぞを妄想してみたりして楽しんだ。

 私自身は喫煙者でないものの、気まぐれで空き地に足を運んでみた。いつもの席から見て私はどう映るだろうか、なんて。

 近くで観察してみて初めて分かることがある。囲んでいる三方の壁が少しくすんでいるとか、アスファルトにいくつも焦げ跡があったりとか、路上との段差が意外と高いだとか。誰かが置いていった、焼きそばパンの袋をカラスがつついていた。

 もう一度あたりを見回してみると、ある違和感に出くわした。焦げ跡やゴミこそあれ、あれだけの人がここを訪れているというのに、吸い殻が明らかに少ないのだ。まさか全員がマナーを守って持ち帰るようなことはないだろうに。

 ぐるぐる考えていると、1羽のカラスが新たにやってきた。2羽目のカラスはパンをつついている先客をちらと見て、他の獲物を探してちょんちょんと歩き出す。

 なんてことはない風景のなか、私は目撃した。カラスがおもむろに、隅にあった一本の吸い殻をクチバシで拾い上げたのだ。長めのしけもくのフィルター部分を確かに摘まんでいる。

 呆気に取られているとカラスは羽を広げてばっさばっさと飛んで行ってしまった。

 次の日から、空き地に訪れる人だけでなくカラスにも注目してみた。今まで気づかなかったが、1人去るときまって1羽来て、しけもくを回収していった。ひしゃげたセブンスターのボックスを開けて中身を確認するかしこいやつまでいた。

 私は気になってカラスを追いかけた。初めはなかなかうまくいかず撒かれてしまったけど、そのうち脚も鍛えられてきて、ある日に公園へたどり着いた。

 公園のベンチには真っ黒いドレスの初老の女性がいて、私はすぐにその人がカラスたちの主人であると分かった。3羽のカラスが彼女の隣でしけもくを献上しており、彼女は1羽ずつ肩に登らせてはブルーベリーに似た木の実を手から与えた。

 私は黒衣の女性にカラスたちについて聞いてみた。

 「かしこい子たちでしょ。私が訓練したのよ」

 「それは何か目的があってですか?」

 女性は空を見上げた。雲ひとつない青空、陽炎の向こうに月が浮かんでいる。少し濡れた瞳がなんだか可憐だった。

 「月に行きたいのよね。この子たちに運んでもらうの」

 ははあ。

 「月に、面白いものでも?」

 そう聞くと黒衣の女性は、アラ知らないの、とこちらに顔を向けた。

 「月の裏側にはね、消えたヒッピーたちがみんな居るのよ。そこで楽しいことだけして暮らしてる。私もそろそろ昔の仲間と合流しようと思って」

 今の若い子は知らないかな、なんて言って女性は照れくさそうに笑った。

そのあとは世間話をしたり、実際にその場にいた3羽で、黒衣の女性を持ち上げるところを見せてもらったりした。羽根がやたらめったら散るわ女性は踵だけ浮いてるわでシュールな光景だった。

別の日、喫茶店でまた空き地を見ていたら、真新しいスタンド灰皿が設置されていた。聞くと喫茶店のマスターが置いたらしい。空き地の住人たちは誰に強制されるでもなくスタンド灰皿に吸い終わった煙草を捨てていった。

しばらくはスタンド灰皿に体当たりをしてひっくり返してしまう、ガッツのあるカラスが出た。喫茶店のマスターはスタンドが倒れる音を聞くたびに舌打ちをしたが、ある日を境にそんな迷惑行為はぴたりと止んだ。私だけが、あの黒いドレスの女性が、月に行ったのだと気付いた。空き地は、ただの喫煙所になった。

 それから外でカラスを見かけると、なんとなく目で追ってしまう癖がついた。風に煽られて電線に引っかかったボロ布なんかを見ると、あの人の照れ笑いを思い出す。

 でも私は、月の裏側には、やっぱりかわいい兎がいてほしいと思う。

 

ウルトラB

comitia125で頒布した同人誌「ウルトラB」の一編です

 

 

  男は聖書が読めなかった。字が読めないのでなく、根気の問題だった。それに、読む理由もなかった。男は教会に住んでいるというだけであって、聖職者ではなかったからだ。廃墟に流れ着いただけの、ただの何者でもなかった。

 人類が神さまに見放されて200年が経っても奇特な連中というのはたまにいるもので、ぽつぽつと来客があった。彼らは男を神父だと信じて疑わなかった。

 迷惑に感じつつも邪険に扱うわけにはいかなかった。それには、信者の良心による寄付なくしては生きられないという、つましい事情があった。ここではない遠くの地で聞きかじった神父の真似事がはたして正しいのか男には分からなかった。そしてそれは信者たちにさえも。

 ひどい砂嵐だった。窓から見える刑務所跡の頑丈そうな柱が、赤茶けた砂によってゆっくりと、しかし確かに削られてゆくのを男はじっと眺めていた。外に出ればひとたまりもないだろう。奇特な連中はそういう日にこそやってくるのだった。

 おおかた神の試練だとか、勝手な受け止め方をしてはしゃいでいるのだ。信仰の力があれば無茶がきくと思っている彼らのことを男は軽蔑していたが、心の奥底では羨ましくも感じていた。

 そして戸が叩かれた。

 嵐の晩、教会を訪れたのはロボット、それも奇特なロボットだった。最低限着装すべき防塵マントも日よけ笠もなく、左腕の肘から先が欠けている。ランタンの灯の下で、長く高熱と砂塵に晒されてきたであろう装甲が鈍色に光った。それは野生の獣の艶だった。

 懺悔をしたいとロボットは言った。壊れかけているのか、音声が掠れている。

 身一つであるロボットからは謝礼、もとい寄付など望めそうもなかったが、男はこれを了承した。

ロボットは両腕を挙げて歓喜を表現した。左の欠けた肘関節からは黒ずんだ機械油の塊がこぼれ、体重移動により床板がぎいぎい悲鳴を上げる。

糞だ。一切の飛沫もなく床に重く立った油の塊に、男は口の中で呟いた。どういうわけか男はしばらくの間その「糞」から目を離さずにはいられなかったが、「ロボットの」「糞だ」という以上に情報は増えなかった。

男はこれまでの経験から、懺悔に来る者は大まかに二種類に分けられると考えていた。自分が何をすべきか、知っているはずの贖罪のカタチに気付かないふりをしている者。これが大半だ。もう一方は、忘れえぬ過ちの瞬間を、自分の力だけでは振り切れなくなった者。ロボットは後者だった。

ただ、どちらも神父(だと思いこまれている一般人)である男がやるべき事は変わらない。彼らからどのような話を聞かされても、男は一言、万能の定型句を述べるだけで仕事は終わるのだ。男にとって二つの違いは、面白い身の上話が聴けるかどうかに過ぎない。きびしい世にあってそれは唯一の娯楽だった。

しかしすぐに問題に直面した。

 ロボットは機械ゆえに、記録されたデーターからおよそ無限とも思えるほどディティールを掘り下げることが可能だった。また、ロボットはどの情報が重要で必要であるかの取捨選択を使用者に委ねるため、ロボット自身はそういった事に向いていない。つまりは話し下手だった。男にとってこれは大変な苦痛だった。

 ロボットはその時目についたものを片端から喋っているようだった。やれ机にクリップがいくつ散らばっていたとか、やれその日のニュースや天気予報だとか、やれ道ゆくエア・カーの登録商標やカタログデータとか、やれ常連客が通算何杯目のヌードルを注文したとか、そのほかいろいろ。

 とにかくどうでもいいことばかりを、ロボットは際限なく喋り続けるのだった。今か今かと待ち受けていた男の緊張はすぐにだらけきって、抑揚のない掠れ声の何もかもが、両耳のカーブをするすると滑っていった。

 いつ本題に入るのか、はたまた、まるで気にも留めていないような調子で通り過ぎてしまって、もう次の話が始まっているのではなかろうか。

目の前のポンコツがだんだんと煩わしくなり、男は苛立ちを覚えるようになった。さらに時が経ち、ロボットは喋り続け、苛立ちは不安に変わった。さらに時が経ち、ロボットはなおも喋り続け、男は眠りこけた。二時間後に男が覚醒したとき、ロボットは手術室で赤ん坊を取り上げていた。その女の子はO型のRhマイナス、体重3109gの栗毛で、瞳の色は…。

溺れそうになり、男はたまらず口を挟んだ。怒鳴りつけてやりたい気持ちを必死に抑え、きわめて冷静に努めた。あと何時間かかるかと聞くと、ロボットはようやく喋るのをやめ、廃教会は水を打ったように静まり返った。いつしか嵐は止んでいた。

静寂のなかで男は煙草に火を点けた。裏庭から摘んだ香草を巻いたものだった。計算中ですとだけ答えが返ってきて、ロボットはまたしばらく沈黙した。

翌日、男はロボットにいくつか提案をした。

まず第一に内容を要約すること。どの場面でどういう瞬間に立ち会い何をして誰を傷つけたのか、また何を過失だと認識したのかだけ、フィルタリング項目を指定した。条件付けしてやればロボットも話しやすいだろう。もちろん「相手に傷を与えたか」には物理と心理においてどちらの要素も含まれる。

もう一つ、音域にもう少し幅を持たせて没入しやすくしてはどうか、という提案については、神父への精神的負荷はなるべく軽減したいという意見により却下された。ロボットの優しさは男の身体にこたえた。

あとは休憩時間について、男は一時間につき10分の休憩を要求した。懺悔中の喫煙にはロボットが渋い態度を示したものの最終的に男が勝利をもぎとった。そういうところだぞ、と男は思った。

かくして最適化された懺悔が、改めて最初から語られることになった。続きからではないのかと言いそうになって、やめた。こうなったら一度好きにやらせてみよう。男は喫煙の交渉でさっそく疲労していた。ロボットが一息に言った。

西暦2089年5月3日午前2時43分、手術室にて左アームの動力伝達ベルトがガイドレールを逸脱し制御不能となって出産直後の赤子をそのまま圧死させてしまった。その女の子はO型のRhマイナス、体重3109gの栗毛で、瞳の色は…。

男は記念すべきその日一本目の香草たばこに火を点けた。そして台座に肘をついたまま、万能の定型句を述べた。

 

 

 3日後、男はまた一つロボットに提案をした。

 それは、ロボットの罪を点数に換算するというものだった。ロボットに表情があれば、それも眉根や口角の引きつりやまつ毛の震えといった繊細な機微をも表現できる性能だったなら、その全機能を最大限に発揮した不可思議のマスクをつくっただろう。可視化された達成感を男は欲していた。

 そうしてその日は5963ポイントから始まった。それでもまだ、ロボットの懺悔内時間と現在の時間との間には2世紀以上の隔たりがあった。

 

 

 二人が長いあいだ廃教会から動こうとしないので、心配した天体たちが交代で彼らのことを見守った。黄緑色のまぶしい太陽が一番高い場所に登って、何度かふたりを探したりもした。薄紫の月が見張り番をさぼって、何度か他の恒星を冷やかしに出かけたりもした。

 ロボットは懺悔の合間に教会裏につくられた芋畑の整備を手伝った。

 男は余剰があるときにキャラバン隊から機械油や真空管などを買った。

 不定期にやってくる信者たちはふたりを物珍しそうに見守った。懺悔にきた者は、男がキリのいいところで切り上げるまで律儀に順番を待った。待っている時間でふたりの様子をスケッチする者もいた。写実的なものから難解な抽象画まで、書き手によってさまざまだったが、きまってロボットが右、男が左の配置だった。

 きっかり20億ポイントで、男がまた一つ提案した。男は出会った頃よりいくらか老いていた。ロボットの懺悔内時間は、今から一世紀前にまで迫ってきていた。

 男は気まずそうに、台座のささくれを指で弄った。ばつの悪そうな顔で、まるで隠していた罪を告白するかのようだった。やがて口を開いた。

 今までおまえを、神さまは許してくださると言ったけれども、どうにもわからない。もしかしたら許してくれないかもしれない。あまりにも、多すぎて…。

 ロボットは黙ってその言葉を聞いていた。

 だから、と男は言った。これから先は、悪いことじゃなくて、善い行いをしたと思えることを話していくのがいいと思う。それで、都合のいい話かもしれないけど、それでプラマイゼロ。神さまも情状酌量でチャラにしてくれるんじゃないかなって。

 長い時間の中で、男とロボットの間には確かに絆が生まれていた。しかし編まれた糸は血に汚れすぎている。

男は最後にいい夢を見ようとしていた。

 

 

 西暦2180年11月22日午後11時59分、キャラバン隊を襲う食屍鬼4体を撃退。

 残19億9831万4937ポイント。

 

 西暦2186年9月2日午前8時18分、第24オアシス湖底のパイプを修理しインフラを回復。

 残18億7386万2011ポイント。

 

 西暦2227年7月15日午前3時45分、検問所跡に住む母娘を砂賊から救出。母親はまもなく死亡。

 残14億9489万84ポイント。

 

 西暦2227年7月17日午前0時0分、砂賊のアジトを襲撃、撃滅。

 残14億9488万9999ポイント。

 

西暦2264年12月10日午後4時32分、牧場から脱走した雄のコロッカスを追い立てて戻してやる。

残13億5万7423ポイント。

 

 

 10億を切ったところで、男が倒れた。砂とともに嵐に乗ってやってきた、遠い地の流行り病だった。

 

 数十年ぶりに、男は廃教会に一人だった。

ロボットは男の病状を診るなり、ワクチンがある場所を知っていると言って戸の外へ消えた。どこまで行くのかと聞くと、隣の大陸だと返ってきた。大陸という言葉を男は知らなかった。海を隔てた、遠い地だ、とても遠いのだ、というと、海という言葉は分かったが、男にはうまくイメージすることができなかった。

 おそらく自分が助からないであろうことを男は理解していた。そして怒りに震えた。自身の運命にではなく、今、友が、また救われぬ道を歩んでいることが悔しくて、胸を掻き毟った。

あと半分なのだ。あと少しで彼は救われる。ここまできて、彼はまた彷徨うのか、この無慈悲な世界を。また一人で、最初からやり直すのか。誰にも認められず、その軌跡を知られることもなく…。

男は気力を振り絞って紙束を引き寄せた。それは20億の折返しから付けはじめた、人の手には余る善行の帳簿だ。そこに、一体のロボットが確かに存在していたのだ。

友のためにできることは何かを考え、男は紙束を掴んだ。

 

 

 およそ文明と呼べるものが滅びた世界にあっても、人は書物を手に取った。永く眠っていた書物は、しかし開かれることなく火にくべられた。明日の光よりも、いま燃えている火を絶やさぬことに必死だった。

 そんな世にあって、ある新しい書物が刊行された。紙は黄色く、がさがさした粗悪な質だったが、不思議と人の心を惹きつけた。それは英雄譚だった。

孤独の放浪者が旅の中で、ただただその身を他者の為に使い、どこへともなく去ってゆく。時に戦い、時に施し、時に追われる。主人公である放浪者がどこから来てどこへ向かうかは誰も知らない。題名は記されておらず、作者の名は「チャーチ」とだけあった。

たちまち題名のない本の噂は広がり、熱狂が伝播していった。きびしい冬を乗り越えるだけの熱を、人々は獲得したのだ。街の印刷所は不眠不休で写本した。また問い合わせも殺到したが職員の誰も作者について知る者はおらず、人々はあふれ出る感情をどこに向けるべきか戸惑い、とりあえず印刷所の前に像を建てた。像は本に出てくる「放浪者」のイメージを固める一助となった。題名のない本は老若男女に受け入れられ、熱が浮浪児に至るまで行き渡ると、今度は街の輸出品としても重用されるようになった。

街が本の発行日を祭日にしたという話は、男の耳にも入ってきていた。廃教会を訪れる信者たちは伏せたままの男を心配したが、男は本について聞きたがった。

ついに男の命の灯が消えようという日、傍には3人の信者がいた。男は枯れた喉を震わせて言葉を紡いだ。あの題名のない本を、いつか人々は忘れてしまわないだろうか、一時的な熱狂だったりはしないだろうか、と。信者の一人が答えた。

 あの本は後世にまで語り継がれるでしょう。街の熱狂ぶりを知っていますか。放浪者「さま」なんて、人々はまるで「神さま」のように崇めています。彼の優しさがいつか自分の前に現れて、救ってくれるんじゃないかって。

 その瞬間、男の目が見開かれた。死の淵にあって、男はそれを認めた。それとはすなわち、罪にほかならない。

 男は、ロボットを神へと仕立て上げてしまったのだ。なにより神に許しを乞うていた友を。なんということだ。神は、神になってしまった者は、だれに許しを乞えばいいのだ。だれがその罪を聞こう。だれが、神を許すなどと…。

 砂嵐が戸の向こうで吹いている。赤茶けた砂は刃となり、過去の遺物たちをゆっくりと、しかし確実に削り落としてゆく。

プラスチック・ドメイン

※2017年5月6日のCOMITIA120で頒布した同人誌「ニュートラル・グランド」に収録された一篇です

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 早期発見、即改善がこの工場の掲げるモットーだ。しかしいくら改善したところで、作業者の事故が減ることはなかった。仕事内容の根本から見つめ直す必要があった。先月コバヤシ君がプレス機に裁断されて、ついに同期がいなくなった。事故のたびに本社からスーツの人が来て、定型のお悔やみと改善を図るよう具体性のない指示を出して帰った。

 そんな折に、ついに本社が根本的な見直しに乗り出した。難しい文章でびっしり埋められた通達を要約すると、『命がいくつあっても足りないなら、命の概念を無くしてしまえばいいじゃない』ということだった。肉体と魂を切り離して、魂を別の入れ物に移し替えることで『死亡する』リスクを完全にゼロにするという。いくら何でも根本に戻りすぎではないだろうか。

 エクトプラズムがどうとかいうその内容は、専門家じゃない僕たちには全部を理解できなかった。とりあえず本社がそう言ってるからと、配られた同意書に僕たちはろくに目も通さずサインした。

 後日、本社のスーツの人が、白衣の怪しげな人を連れてきて説明会を開いた。白衣の人は今回のプロジェクトを発案した研究者だそうで、熱が入ると早口が止まらないという人だった。この発明がどれだけの効果をもたらすか、いかに素晴らしいかを熱弁する様をやや引いた目で見ながら、無精髭が口に入って邪魔ではないだろうかと考えていた。

 僕たちはそれから、一人ひとり割り当てられたカプセルに入れられ、その中で横になった。肉体はカプセル内で保存され人工知能が逐一モニタリングしてくれるから、僕たちは安心していくらでも働けるという寸法だ。後輩のモリバヤシ君は閉所恐怖症なんですと嫌がっていたが、最後には白衣の人たちによって無理やり押し込められていた。後から聞いて分かったが、モリバヤシ君はこの時点でカプセル内でショック死してしまい、僕たちと同じように人形の入れ物に魂を移しているものの、その中身は純粋に成仏できていない幽霊のそれだという。

 それはそれとして、やけにうるさい稼働音ののち、僕たちの魂はカプセルに接続されたチューブを通って、のっぺらぼうのマネキン人形に移し替えられた。みんな同じ顔のつくりなので、判別のために名前が大きくプリントされたゼッケンが支給された。

発声の手段がないことに全員がすぐ気付いた。何しろただのマネキン人形なのだ。そのことに関しては研究者が単にうっかり忘れていたらしい。声を出せないので、僕たちはガチャガチャと怒る素振りで抗議した。

しかし白衣の人は、そんなことより自分の理論が正しかったと証明されたことに浮かれて、終始へらへらしていた。今後その辺りを改善していくと言っていたが、いつの間にかうやむやになっていた。これもコスト削減の一環なんだろう。仕方なく僕たちは筆談用のメモ帳を持ち歩いた。

色々問題はあったけれど、プロジェクトは概ね成功と言えた。いくら危ない目にあって人形の体がバラバラに成り果てたとて、次の瞬間には新品の新しい人形で目覚める。はしゃいだオオバヤシ先輩が一日に五回も爆散しても、大した損害にはならなかった。いちいち葬式に顔を出さずに済むと工場長は笑っていた。いや、声帯も表情もないから、そこには小刻みに揺れるマネキンが居るだけなのだけど。

人形が破損した際の魂の移動については、一定の周期でバックアップがサーバーにアップロードされており、人形が破損した時点での至近のデータが、新品の人形にインプットされて起動する仕組みになっている。白衣がそう言っていた。

じゃあ今僕がこうして立っている意思やらは、本物の魂のコピーによるものなのか、最初のオリジナルの魂はそのサーバーとやらにあるのか、本当はオリジナルの魂は最初に壊れた時点で消えてしまっているのではないか。正確な在処について聞くと、はぐらかされてしまった。ただ、人形の在庫はいくらでもあるからと、白衣は逃げてしまった。

そのうち、いくら事故をしても『死ぬ』ことは無いという感覚が徐々に染みついてくると、その油断から、事故率は以前より遥かに上がった。危険に対する意識レベルは最低に落ちて、設備や作業方法の改善などは誰の意識からも外れた。

さらに疑似的に何度も『死』の体験をした影響か、次第にみんな粗暴に振る舞うようになった。些細なことで人形同士が喧嘩し、どちらかが壊れるまで殴り合うのだった。野次馬のみんなも面白がって、裏で賭けをする人までいた。プラスチックがぶつかり合うだけの、無音で不穏な熱気が工場を包んだ。

みんなの様子が一変したのは、これまた疑似的な、脳内麻薬の過剰分泌が原因かもしれない。人形たちの凶暴化について白衣たちが何度も会議を開いたが、何も成果は得られなかったようだった。暴動が起きるのも時間の問題だとして逃げる白衣も出た。実際にその後暴動が起きて、白衣たちは追い詰められた。

僕はというと、実はまだ一度も人形の体を壊したり、新品に替えることはしていなかった。いくら復活できるといっても、無茶ができるほどの度胸が無かったからだ。それに確実に復活できる保証もないし、白衣にはぐらかされた「魂の在処」についても不安が残っていた。だからみんなが気をやってしまった中で、多重に渡る死を経験していない僕だけが平静を保つことができ、この異常な事態を静観していた。

白衣たちには気の毒だが、暴動の理由らしい理由なんて無かった。ただ、暴力の熱気が伝播し、拡散し、その破壊衝動の矛先にたまたま運悪く白衣たちが居たというだけだった。

 追い詰められた白衣たちが立てこもったのは、僕たちの肉体が保存されているカプセルがある部屋だった。そして扉を打ち破らんとする狂気の群れに対してこう言った。大人しく引き下がらないと、君たちの本体がどうなっても知らないぞ、と。

 これには人形たちも戸惑いを隠せず、たじろいだ。まだ少しばかりの理性が残っていたらしく、寸でのところで踏み止まってくれて僕はほっとした。僕の肉体まで危険にさらされては、たまったもんじゃない。

程なく本社のスーツがやってきて、和平交渉の仲介に入ってくれた。といっても、非は全てこちら側にあるので(そもそも得体の知れないプロジェクトに参加させられて人形の体にされてしまったという根本には触れられなかった)、僕たちへの処分は、事実上の隷属化だった。生身の人間に今後逆らわないという、ロボットのような御触れが出されたのだ。不満の声――の書かれたプラカードで僕たちは抗議したが、本体が人質に取られた今の立場では、待遇改善は絶望的だった。

それから僕たちはぞんざいに扱われるようになり、ろくな休憩もなく、毎日しょんぼりとしながら仕事をした。延々と同じ作業、同じ工程、同じ仕上がり、同じ成果、代わり映えの無い風景が幾日も過ぎた。

娯楽も働きがいもない生活で、かつての熱に囚われてわざと事故を起こし自壊を繰り返す人も居た。けれどすぐに白衣に連れていかれて、戻って来なかった。そのことで人形たちはまた気を落とした。徐々に感情を失いつつあり、本当にロボットのようになった奴もいた。

時間の感覚もなくなったころ、工場がストップした。製品を作る原料が無くなったのだ。僕はまだかろうじて正常な数体の人形と一緒に、白衣たちに指示を仰ぎに行った。

しかし、工場のどこを探しても白衣たちは見当たらなかった。正確には、白衣はあったが、それを纏っているのは生きた人間ではなく風化しかけた骸だったのだ。誰一人として、生きている人間はいなかった。デジタル時計が告げる西暦が、くだらないフィクションにしか見えなかった。原料が入って来なくなったのは、そんな事態ではなくなったからだと察しがついた。

はっとして、僕たちはカプセルのある部屋へ走った。しかし、カプセルは棺へと役目を替えて、棺に納まるのは死人と決まっていた。人工知能が不完全だったのか、そもそもカプセルは長期保存を予定して作られていなかったか。しかしそんなことを考えたところで、何もかも今となってはもう遅い。

膝から崩れ落ちる数名の人形を残して、僕は一人、サーバールームを目指した。しかしここもやはり、長い年月メンテナンスされていないせいで、そのほとんどが機能を停止していた。ファンにはびっしりと埃が栓をしており、駆動音もランプの点滅も確認できなかった。

サーバーがダウンした今、新しい人形への復活は見込めないだろう。本体が滅び、復活もできないと知られれば、必ずパニックになる。自棄になってしまっては、先は無い。

こんな時に本社のスーツが取りまとめてくれればと思うが、そんな都合の良い様にはいかない。ここには死体ばかりで、もう生きている人間はいないのだ。

今にも泣きだしたいが、そんな機能はついていない。素直に絶望すらさせてくれないことに絶望した視界が捉えたのは、本社のスーツの死体だった。

 

 

工場は再稼働を始めた。しかし作る製品は、これまでとは違う。自分たちで、次に自分たちが移り変わる為の、人形を製造するラインを組ませた。人形さえ作っておけば心配ないのだという説明を、彼らは信じた。自分たちが生き永らえる為に、使えるものは何でも材料にした。

僕は死体からスーツを奪って、本社の人間に成りすましていた。初めは人形であることに、疑いの目を向けられたが、本社の人間もコスト削減のために人形になったという嘘で乗り切ることができた。

以来、僕たちはずっと人形を作り続けている。魂など宿ることのない、文字通りのただの人形を。サーバーがダウンしたことは誰にも知られていないはずだったが、人形を作り始めてから、再び自壊を選ぶ者が出てきた。一昨日はキバヤシ君がグラインダーで自らの体を抉り、昨日はハヤシダ君が溶鉱炉に身を投げた。そして今また、どこかでプラスチックの破砕する音が工場にこだました。

一体、また一体と静かに滅びゆくなかで、出来上がった人形が工場内を埋め尽くしていった。乱雑に積み上げられた、自分と同じ形の人形の山の中に、もう一体の僕を見たような気がした。

ヴァイオレット・パープル

身体を壊してしまったという友人宅へ見舞いに行ったが、友人は居なかった。部屋の電気は付けっ放しにされていて、まったく日の当たらない立地と生活感の希薄さのせいですこし肌寒い。どこか買い物に行ったのだろうと思い持ってきた本を読みながら部屋で友人の帰りを待つことにした。

それから、床の感触を意識するようになった頃、西側の壁に掛けられていた、赤い卵黄の色をした派手なシャツが目についた。夜の闇も届かぬこの部屋に出現した、偶像としての夕暮れ。この部屋で見ることのできる唯一の景色だ。きっと毎日時計を手にして、そこに太陽があるのだと信じていたことだろう。数字だけが指標の、宇宙船の中での生活は、さぞ気の重いことだろう。

重い腰を上げてシャツを手に取ると、奥の壁に、硬貨サイズの穴がぽっかりと開いていた。不思議に思いながら覗きこむとそこには、よく晴れた夜空がどこまでも広がり、無数の星を数えることができた。きっと友人はこの夜に居て、帰ってこないのだと私には分かった。今まで見れなかった星を隅々まで眺め、考えることも考えずにただひたすらを過ごすだろう。それは友人にとって今一番必要なことであるような気がする。

ただ私としても、せっかくこうして見舞いに来たのだから、せめて何かしてやりたい。しばらく考えたのち、私は手土産に持ってきていた白い酒蒸しの饅頭をちぎり、欠けらを穴から中へ入れてやった。もう一度穴を覗きこむとそこには、先ほど見た夜空の星々に交じって、断面が不揃いの三日月が浮かんでいた。そして、逸る気持ちでじっとその月を見つめていると、やがて私の目論見通りに、断面が少しずつちぎられていくのを認めた。

この夜の下で友人が、月に手を伸ばし、舌で刮ぐようにちびちびと饅頭を味わってくれている様が見えるようだった。役目を果たしたことで満足した私は、壁に背を預け、穴から漂う餡の甘い香りの中で読書を再開した。時おり向こうの様子を伺いながら、その日は夜明けまで部屋で過ごした。

なんもない

日記を書くのをサボってしまっているなあと、思ってはいるものの、書かずにいる日々が随分続いた。とくに書くことが思いつかなかった。今も書くことが思いつかない。ただ眠れないからパソコンの前でぼんやりしている。そうすることでより眠れなくなることは分かっているはずなのに、意味もなくぼんやりしている。別タブで開いたYoutubeから流れてくる銀杏BOYSを延々と聞きながら、延々とぼんやりしている。くりぃむしちゅーのオールナイトニッポンのテーマ曲を歌っていたことをついさっき知った。

 

ミュージックビデオやライブの映像が、一番上から順番に自動で再生されていく。気まぐれに動画ページをスクロールすると、他のユーザーのコメント欄が並んでいる。そのどれもが、感動したとか、学生時代を思い出したとかで、とにかく絶賛の嵐だった。

青春の真っ只中の、ドラマのワンシーンのようなシチュエーションにこの曲があったなんていうコメントも少なくない。それを見て、なんだか羨ましいような気になる。おれの青春にあった音楽を思い返してみると、アリスの「チャンピオン」と、ウルフルズの「暴れだす」の2曲くらいしかない。とくべつ好きなアーティストも居なかった。カラオケでは必ず歌うけれども、思い起こすような劇的なエピソードはない。そんなおれからすると、その曲に特別な思い入れがある人と同じように楽しむには、どうにも引け目を感じる。おれは劇的な瞬間の、当事者になれないような。そのチャンスはもう回ってこないような、そんな気がする。気がするだけで、一昨年にブルーハーツを聴きすぎて馬鹿なことをしたことを今思い出しました。「月の爆撃機」と「僕の右手」はいいぞ。とりあえず後で銀杏BOYSの適当なアルバムを探してみます。

 

あとは、昨日、貧乏ゆすりしてたら筋肉痛になりました。他に書くことはもうないです。おつかれさまでした。

坂の上は晴天

夜中に目が覚めてから、ぼんやりとゲームをしていたら朝になっていた。鏡の前に立つと関羽みたいなヒゲ面だったので、ハサミでざっくばらんに切ってみると、だいたい張飛のヒゲぐらいになった。

案外こんなもんでも形になるもんだなあと感心してから、やることもなく、天気が良いので散歩に出かけた。花粉はそんなに飛んでいなかったけど、やや気温が高いのと運動不足だった為に帰る頃には汗だくになっていた。パーカーはもう秋まで着ることはないだろう。

 

途中、煙草屋に隣接された喫煙所が日陰になっていたので休憩していると、園児たちが前の通りを横切っていった。園児の1人がこちらに手を振ったので、おれはなぜか反射的に会釈をしてしまった。余裕の無さなのだろうかと考えたりした。

 

キリン柄のショベルカーが瓦礫の含んだ土を移動させていた。はじめはチーター柄かと思ったが、長いショベルのアームから察するにキリンなのだろう。ちゃんと考えれば、チーターの模様とキリンの模様はけっこう違う。たぶん寝ていないから頭が働いていないのだ。


信号待ちをしていたら霊柩車が通った。ちょうどその時、両の親指だけポケットに入れていたので間一髪難を逃れた。そういう迷信はあまり信じないようにしているが、気にはなる。


散歩ついでに駅で用事を済ませたあと線路沿いを歩いていたら、すぐそばを貨物列車が走っていった。なんとなく、客を乗せた鈍行の電車とはまた違う独特な音のような気がする。生まれ育った実家は駅が近かったので、皆んなが寝静まった夜は特に、貨物列車の音がよく聞こえた。年中家のどこにいても聞こえていたけど、うるさいと思ったことはなかった。

この音を聞きながら育ったなあと郷愁に浸ったりしながら帰り道を歩いていると、また別の霊柩車とすれ違ってしまい、すぐに気持ちが萎んでいった。

 

帰るには、急な坂を登って行かなければならず、それに、日差しはこれからが1番高くなる時間だった。くらくらとした頭で、発泡酒でも買おうかなと思った。

というだけの話

東京へまたちょっとした旅行に行った。移動にはいつも新幹線を使うのだが、仕事の終業時間と移動の時間とイベントの時間を考慮して、三大「長距離移動の常套手段」の1つとして知られる夜行バスを利用することにした。一度乗ってみたかったというのもある。

 

夜行バスとは、夜通し運行して朝方目的地に到着する長距離バスのことだ。新幹線に比べて比較的安価で、また、寝ながら移動できるという利点がある。早朝から現地で遊びたい場合に、前日のうちに移動する手間がなかったり、ホテル代の節約になったりする。デメリットといえばバスの中に長時間拘束されるというもので、乗り物酔いに弱い人にとっては相当な苦痛だろう。あまりの長距離移動に「ケツの肉が取れる」と漏らす人もいたという。

 

おれが乗ったバスは、目的地である東京までおよそ11時間を要した。そのことについては、予約サイトであらかじめ把握していたし、それなりに覚悟をしていた。それに、たとえ長い長い苦痛であっても「やはり夜行バスはつらい」という経験を身をもって得られるのでそう悪いことではないと思った。まんざらでもなかったというわけです。身もふたもない話だけれど。

 

初めて乗った結果、11時間はあっという間だった。体感では2時間程度だったと思う。あっけない。直前まで仕事をしていて疲れていたからだろう。

 

消灯した車内はとても暗い。完全な暗闇というほどでもないが豆電球ほど明るいわけでもない。目が慣れても、自分の前方にいくつ席が並んでいるのかが判別できない。目に映る黒色はシートの色なのか、そこに座っている人の頭の色なのか、そのまた前のシートの色なのか。

 

高速道路を走る振動のせいか、なかなか寝つけない時間があった。それでも意識の半分くらいは眠っているようで、まともに頭が働かないままぼやーっとしていた。目に映っている車内の風景が夢であるような気がして、まどろんでいた。本当は眠っていて、眠ったまま開かれている目が寝ぼけたまま情報をひろっているのかもしれない。眠っている間も脳は働いているというし。

でも自分が目を開けたまま寝る人かどうかなんて分からない。そんな事を指摘されたことがなかった。

兄はよく薄目を開けたまま眠る人だったが、寝ている間も目の前が見えていたのだろうか。少し気になった。