プラスチック・ドメイン

※2017年5月6日のCOMITIA120で頒布した同人誌「ニュートラル・グランド」に収録された一篇です

 

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 早期発見、即改善がこの工場の掲げるモットーだ。しかしいくら改善したところで、作業者の事故が減ることはなかった。仕事内容の根本から見つめ直す必要があった。先月コバヤシ君がプレス機に裁断されて、ついに同期がいなくなった。事故のたびに本社からスーツの人が来て、定型のお悔やみと改善を図るよう具体性のない指示を出して帰った。

 そんな折に、ついに本社が根本的な見直しに乗り出した。難しい文章でびっしり埋められた通達を要約すると、『命がいくつあっても足りないなら、命の概念を無くしてしまえばいいじゃない』ということだった。肉体と魂を切り離して、魂を別の入れ物に移し替えることで『死亡する』リスクを完全にゼロにするという。いくら何でも根本に戻りすぎではないだろうか。

 エクトプラズムがどうとかいうその内容は、専門家じゃない僕たちには全部を理解できなかった。とりあえず本社がそう言ってるからと、配られた同意書に僕たちはろくに目も通さずサインした。

 後日、本社のスーツの人が、白衣の怪しげな人を連れてきて説明会を開いた。白衣の人は今回のプロジェクトを発案した研究者だそうで、熱が入ると早口が止まらないという人だった。この発明がどれだけの効果をもたらすか、いかに素晴らしいかを熱弁する様をやや引いた目で見ながら、無精髭が口に入って邪魔ではないだろうかと考えていた。

 僕たちはそれから、一人ひとり割り当てられたカプセルに入れられ、その中で横になった。肉体はカプセル内で保存され人工知能が逐一モニタリングしてくれるから、僕たちは安心していくらでも働けるという寸法だ。後輩のモリバヤシ君は閉所恐怖症なんですと嫌がっていたが、最後には白衣の人たちによって無理やり押し込められていた。後から聞いて分かったが、モリバヤシ君はこの時点でカプセル内でショック死してしまい、僕たちと同じように人形の入れ物に魂を移しているものの、その中身は純粋に成仏できていない幽霊のそれだという。

 それはそれとして、やけにうるさい稼働音ののち、僕たちの魂はカプセルに接続されたチューブを通って、のっぺらぼうのマネキン人形に移し替えられた。みんな同じ顔のつくりなので、判別のために名前が大きくプリントされたゼッケンが支給された。

発声の手段がないことに全員がすぐ気付いた。何しろただのマネキン人形なのだ。そのことに関しては研究者が単にうっかり忘れていたらしい。声を出せないので、僕たちはガチャガチャと怒る素振りで抗議した。

しかし白衣の人は、そんなことより自分の理論が正しかったと証明されたことに浮かれて、終始へらへらしていた。今後その辺りを改善していくと言っていたが、いつの間にかうやむやになっていた。これもコスト削減の一環なんだろう。仕方なく僕たちは筆談用のメモ帳を持ち歩いた。

色々問題はあったけれど、プロジェクトは概ね成功と言えた。いくら危ない目にあって人形の体がバラバラに成り果てたとて、次の瞬間には新品の新しい人形で目覚める。はしゃいだオオバヤシ先輩が一日に五回も爆散しても、大した損害にはならなかった。いちいち葬式に顔を出さずに済むと工場長は笑っていた。いや、声帯も表情もないから、そこには小刻みに揺れるマネキンが居るだけなのだけど。

人形が破損した際の魂の移動については、一定の周期でバックアップがサーバーにアップロードされており、人形が破損した時点での至近のデータが、新品の人形にインプットされて起動する仕組みになっている。白衣がそう言っていた。

じゃあ今僕がこうして立っている意思やらは、本物の魂のコピーによるものなのか、最初のオリジナルの魂はそのサーバーとやらにあるのか、本当はオリジナルの魂は最初に壊れた時点で消えてしまっているのではないか。正確な在処について聞くと、はぐらかされてしまった。ただ、人形の在庫はいくらでもあるからと、白衣は逃げてしまった。

そのうち、いくら事故をしても『死ぬ』ことは無いという感覚が徐々に染みついてくると、その油断から、事故率は以前より遥かに上がった。危険に対する意識レベルは最低に落ちて、設備や作業方法の改善などは誰の意識からも外れた。

さらに疑似的に何度も『死』の体験をした影響か、次第にみんな粗暴に振る舞うようになった。些細なことで人形同士が喧嘩し、どちらかが壊れるまで殴り合うのだった。野次馬のみんなも面白がって、裏で賭けをする人までいた。プラスチックがぶつかり合うだけの、無音で不穏な熱気が工場を包んだ。

みんなの様子が一変したのは、これまた疑似的な、脳内麻薬の過剰分泌が原因かもしれない。人形たちの凶暴化について白衣たちが何度も会議を開いたが、何も成果は得られなかったようだった。暴動が起きるのも時間の問題だとして逃げる白衣も出た。実際にその後暴動が起きて、白衣たちは追い詰められた。

僕はというと、実はまだ一度も人形の体を壊したり、新品に替えることはしていなかった。いくら復活できるといっても、無茶ができるほどの度胸が無かったからだ。それに確実に復活できる保証もないし、白衣にはぐらかされた「魂の在処」についても不安が残っていた。だからみんなが気をやってしまった中で、多重に渡る死を経験していない僕だけが平静を保つことができ、この異常な事態を静観していた。

白衣たちには気の毒だが、暴動の理由らしい理由なんて無かった。ただ、暴力の熱気が伝播し、拡散し、その破壊衝動の矛先にたまたま運悪く白衣たちが居たというだけだった。

 追い詰められた白衣たちが立てこもったのは、僕たちの肉体が保存されているカプセルがある部屋だった。そして扉を打ち破らんとする狂気の群れに対してこう言った。大人しく引き下がらないと、君たちの本体がどうなっても知らないぞ、と。

 これには人形たちも戸惑いを隠せず、たじろいだ。まだ少しばかりの理性が残っていたらしく、寸でのところで踏み止まってくれて僕はほっとした。僕の肉体まで危険にさらされては、たまったもんじゃない。

程なく本社のスーツがやってきて、和平交渉の仲介に入ってくれた。といっても、非は全てこちら側にあるので(そもそも得体の知れないプロジェクトに参加させられて人形の体にされてしまったという根本には触れられなかった)、僕たちへの処分は、事実上の隷属化だった。生身の人間に今後逆らわないという、ロボットのような御触れが出されたのだ。不満の声――の書かれたプラカードで僕たちは抗議したが、本体が人質に取られた今の立場では、待遇改善は絶望的だった。

それから僕たちはぞんざいに扱われるようになり、ろくな休憩もなく、毎日しょんぼりとしながら仕事をした。延々と同じ作業、同じ工程、同じ仕上がり、同じ成果、代わり映えの無い風景が幾日も過ぎた。

娯楽も働きがいもない生活で、かつての熱に囚われてわざと事故を起こし自壊を繰り返す人も居た。けれどすぐに白衣に連れていかれて、戻って来なかった。そのことで人形たちはまた気を落とした。徐々に感情を失いつつあり、本当にロボットのようになった奴もいた。

時間の感覚もなくなったころ、工場がストップした。製品を作る原料が無くなったのだ。僕はまだかろうじて正常な数体の人形と一緒に、白衣たちに指示を仰ぎに行った。

しかし、工場のどこを探しても白衣たちは見当たらなかった。正確には、白衣はあったが、それを纏っているのは生きた人間ではなく風化しかけた骸だったのだ。誰一人として、生きている人間はいなかった。デジタル時計が告げる西暦が、くだらないフィクションにしか見えなかった。原料が入って来なくなったのは、そんな事態ではなくなったからだと察しがついた。

はっとして、僕たちはカプセルのある部屋へ走った。しかし、カプセルは棺へと役目を替えて、棺に納まるのは死人と決まっていた。人工知能が不完全だったのか、そもそもカプセルは長期保存を予定して作られていなかったか。しかしそんなことを考えたところで、何もかも今となってはもう遅い。

膝から崩れ落ちる数名の人形を残して、僕は一人、サーバールームを目指した。しかしここもやはり、長い年月メンテナンスされていないせいで、そのほとんどが機能を停止していた。ファンにはびっしりと埃が栓をしており、駆動音もランプの点滅も確認できなかった。

サーバーがダウンした今、新しい人形への復活は見込めないだろう。本体が滅び、復活もできないと知られれば、必ずパニックになる。自棄になってしまっては、先は無い。

こんな時に本社のスーツが取りまとめてくれればと思うが、そんな都合の良い様にはいかない。ここには死体ばかりで、もう生きている人間はいないのだ。

今にも泣きだしたいが、そんな機能はついていない。素直に絶望すらさせてくれないことに絶望した視界が捉えたのは、本社のスーツの死体だった。

 

 

工場は再稼働を始めた。しかし作る製品は、これまでとは違う。自分たちで、次に自分たちが移り変わる為の、人形を製造するラインを組ませた。人形さえ作っておけば心配ないのだという説明を、彼らは信じた。自分たちが生き永らえる為に、使えるものは何でも材料にした。

僕は死体からスーツを奪って、本社の人間に成りすましていた。初めは人形であることに、疑いの目を向けられたが、本社の人間もコスト削減のために人形になったという嘘で乗り切ることができた。

以来、僕たちはずっと人形を作り続けている。魂など宿ることのない、文字通りのただの人形を。サーバーがダウンしたことは誰にも知られていないはずだったが、人形を作り始めてから、再び自壊を選ぶ者が出てきた。一昨日はキバヤシ君がグラインダーで自らの体を抉り、昨日はハヤシダ君が溶鉱炉に身を投げた。そして今また、どこかでプラスチックの破砕する音が工場にこだました。

一体、また一体と静かに滅びゆくなかで、出来上がった人形が工場内を埋め尽くしていった。乱雑に積み上げられた、自分と同じ形の人形の山の中に、もう一体の僕を見たような気がした。