合流

comitia125で頒布した同人誌「ウルトラB」の一編です

 

 

  外回りのときによくサボりに使う喫茶店がある。客はまばらで店内はいつも日陰になっているし、会社からも遠いので居心地が良かった。

 通りに面した席からはオフィスビルと居酒屋の間に生まれた空き地が見える。空き地はがんばれば車2台分くらいのコインパーキングにできそうな広さだったけど狭い路地にあったので運良くそうならずに空白のままだった。

 見捨てられた空き地にはふしぎなことに、OLから作業員や男子中学生までさまざまな人が来る。性別も年齢もちがう彼らは、皆一様にして隠れるようにタバコを吸いに来るのだった。

 私は日陰の喫茶店からそれを眺めて、勝手に彼らの生い立ちなんぞを妄想してみたりして楽しんだ。

 私自身は喫煙者でないものの、気まぐれで空き地に足を運んでみた。いつもの席から見て私はどう映るだろうか、なんて。

 近くで観察してみて初めて分かることがある。囲んでいる三方の壁が少しくすんでいるとか、アスファルトにいくつも焦げ跡があったりとか、路上との段差が意外と高いだとか。誰かが置いていった、焼きそばパンの袋をカラスがつついていた。

 もう一度あたりを見回してみると、ある違和感に出くわした。焦げ跡やゴミこそあれ、あれだけの人がここを訪れているというのに、吸い殻が明らかに少ないのだ。まさか全員がマナーを守って持ち帰るようなことはないだろうに。

 ぐるぐる考えていると、1羽のカラスが新たにやってきた。2羽目のカラスはパンをつついている先客をちらと見て、他の獲物を探してちょんちょんと歩き出す。

 なんてことはない風景のなか、私は目撃した。カラスがおもむろに、隅にあった一本の吸い殻をクチバシで拾い上げたのだ。長めのしけもくのフィルター部分を確かに摘まんでいる。

 呆気に取られているとカラスは羽を広げてばっさばっさと飛んで行ってしまった。

 次の日から、空き地に訪れる人だけでなくカラスにも注目してみた。今まで気づかなかったが、1人去るときまって1羽来て、しけもくを回収していった。ひしゃげたセブンスターのボックスを開けて中身を確認するかしこいやつまでいた。

 私は気になってカラスを追いかけた。初めはなかなかうまくいかず撒かれてしまったけど、そのうち脚も鍛えられてきて、ある日に公園へたどり着いた。

 公園のベンチには真っ黒いドレスの初老の女性がいて、私はすぐにその人がカラスたちの主人であると分かった。3羽のカラスが彼女の隣でしけもくを献上しており、彼女は1羽ずつ肩に登らせてはブルーベリーに似た木の実を手から与えた。

 私は黒衣の女性にカラスたちについて聞いてみた。

 「かしこい子たちでしょ。私が訓練したのよ」

 「それは何か目的があってですか?」

 女性は空を見上げた。雲ひとつない青空、陽炎の向こうに月が浮かんでいる。少し濡れた瞳がなんだか可憐だった。

 「月に行きたいのよね。この子たちに運んでもらうの」

 ははあ。

 「月に、面白いものでも?」

 そう聞くと黒衣の女性は、アラ知らないの、とこちらに顔を向けた。

 「月の裏側にはね、消えたヒッピーたちがみんな居るのよ。そこで楽しいことだけして暮らしてる。私もそろそろ昔の仲間と合流しようと思って」

 今の若い子は知らないかな、なんて言って女性は照れくさそうに笑った。

そのあとは世間話をしたり、実際にその場にいた3羽で、黒衣の女性を持ち上げるところを見せてもらったりした。羽根がやたらめったら散るわ女性は踵だけ浮いてるわでシュールな光景だった。

別の日、喫茶店でまた空き地を見ていたら、真新しいスタンド灰皿が設置されていた。聞くと喫茶店のマスターが置いたらしい。空き地の住人たちは誰に強制されるでもなくスタンド灰皿に吸い終わった煙草を捨てていった。

しばらくはスタンド灰皿に体当たりをしてひっくり返してしまう、ガッツのあるカラスが出た。喫茶店のマスターはスタンドが倒れる音を聞くたびに舌打ちをしたが、ある日を境にそんな迷惑行為はぴたりと止んだ。私だけが、あの黒いドレスの女性が、月に行ったのだと気付いた。空き地は、ただの喫煙所になった。

 それから外でカラスを見かけると、なんとなく目で追ってしまう癖がついた。風に煽られて電線に引っかかったボロ布なんかを見ると、あの人の照れ笑いを思い出す。

 でも私は、月の裏側には、やっぱりかわいい兎がいてほしいと思う。