オールナイト・ドリップ

ここ数日はテレビを点けずに生活している。代わりにラジオを四六時中つけっぱなしにしてBGMのように使っている。

テレビを観なくても、ニュースはラジオでもやっているし旬の話題もパーソナリティーが取り上げてくれる。さほど不自由なく台風の情報もオリンピックの情報も、面白いトークだって流れてくる。

なるほどやはりラジオはテレビに次ぐ立派なメディアだなと思わされる。でもラジオのパーソナリティは、テレビで活躍する芸能人がとても多い。すると話題はやっぱりテレビ番組の内容や舞台裏に偏りがちになる。
ゴールデンタイムのテレビ番組の内容をパーソナリティーが話すとなると、聴いている人がその番組を見ている前提で細部を話し始めてしまうので、番組を見てない人にとっては場面を想像できず話に入っていきづらい。今のラジオはテレビありきな部分が多いことに、少し面倒くさくなってしまう。

ラジオよりテレビより上のメディアが登場しそれが当たり前に普及したとき、テレビの在り方はどうなるのだろう。今のラジオみたいに「ありき」の存在になるのだろうか。そしてそのときラジオは、「ありきのありき」となって絞りかすみたいになってしまうのだろうか。もしかすると、ろ過器みたいにたくさんの情報のフィルターを介して、ごく少量の純粋ななにかが抽出されたとても繊細なものになるのかもしれない。

がんばれバナメイエビ

平日の昼にスーパーに行くと、入り口で試食を勧められた。ぶどうの試食だった。ぶどうは好きだけど、足を止めて売り文句を聞いていると、時間を割いてもらっているし買わないことには申し訳が立たない気持ちに駆られてしまうので遠慮した。

冷房の効きすぎる精肉売り場をうろついていると、体操服を着た中学生が台車を転がして通り過ぎ、バックヤードに消えた。腕章をつけていたので、職場体験というやつだろう。見れば店内のあちこちで、腕章をつけた中学生たちが棚の整理を手伝ったりしている。入り口で試食を勧めてきたのもその1人だったことにようやく気付く。ぶどうの乗ったトレーを抱えて、入り口の向こうの駐車場をじっと見つめていた。せめて話を聞いてあげれば良かったかもしれない。

自分が中学生のときは、職場体験の時期にインフルエンザが流行って学級閉鎖になり中止になってしまった。文化祭も参加できなくなって散々だったことを憶えている。たしかおれは農協で職場体験をするはずだった。

1日を終えて帰宅した彼らは、親にいつもよりちょっとだけ優しくなったりするんだろうな。

柔軟剤を買い忘れたことに帰ってから気づいたが、買ってきたポテトサラダを食べたらどうでもよくなった。

アクセラアテンザあいうえお

車に疎い。どれくらい疎いかというと、友達の助力を得てなお、アクアとプリウスの判別できるようになるまで一年かかったほどだ。今はちょっと怪しい。

だいたい似たような車が多すぎる気がする。エブリイとハイジェットはバンで統一していいだろう。軽トラも多々あるみたいだし。大差ないよ。

もちろん1つずつちゃんと違うんだろうけど、いかんせん車に傾ける情熱を持ち合わせていないので平坦な目で見てしまう。細部を見ようとしないから同じに見えてしまうんだ。車好きの人は見るところが違うから、それぞれの仕様や特徴について挙げることができるだろう。そこでアクセラアテンザだ。

アクセラアテンザが分からない人は画像検索してみるといい。2つが並んだ画像が好ましい。そう、とても似ている。車好きを自称する人でも一瞬判断に迷うレベルだ。アクセラアテンザの写真をランダムで100枚出されたら、100問すべて正答できる人などいないのではないか。もちろんおれはどっちがどっちかてんで分からない。名前も似てるし。どうしてこうなった。開発チームが喧嘩でもしたのか。

かっこいいスポーツカーであるところのアクセラアテンザに乗りたいと願う車好き男子はごまんといるだろう。だからこそこの問題は避けて通れない。一朝一夕の付け焼き刃では瞬時に判断することは叶わない。電車を待つホームで、部活終わりの疲れた肩を柱に預けながらアクセラアテンザの参考書を捲る日々。いつかこの車のオーナーになるんだ。彼らの努力はおれにはとても計り知れない。どっちの車に乗ろうとおれには同じに見えてしまうけど、彼らには彼らなりの確固とした強い根っこがあるのだ。熱中できるものがあるのは良いことだ。

でもローンの完済直後や車検の直前に買い換えるやつ、お前らは車好きとは認めない。いくら良い車に乗ってて休みのたびに丹念に洗車していたとしても、お前らは認めない。そういう愛の無いやつがおれはこの世で2番目に嫌いなんだ。1番は戦争。3番、3番は、3番はところてんだ。

今のところ車を変える気はないけど、もし変えるなら次はダットサンに乗りたい。中古のボロいやつでいい。ボロいやつが良い。

ゴールのGはグレイヴのG

初めてひとりで墓参りに行った。実家から15分ほど歩くとうちの墓がある。雑草を取り、枯れた花を捨てて新しい花を入れてやる。墓石の上から水をかけて線香を焚き、両手を合わせる。自分がいずれこうなるという、終着点が目の前にあるわけだけど、先のことすぎて特に何も思わなかった。ただ、この小さな国がお墓で埋め尽くされないのが、なんだか勘定が合わない気がした。夕方に行ったのだけど、シャツの襟は汗に濡れて、帰る頃には墓石はすっかり乾いて触ると火傷してしまいそうだった。
来世は線香屋さんになりたいと思った。

 

帰り道に終着点、ゴールについて考えていた。

誰しも人生のゴールを目指すわけだけど、やっぱり最後のゴールを考えすぎると変なところに力が入ってうまく立ち行かなくなるというか、とりあえずは今ある目先のゴールを積み重ねるのが精神的にもいいのだろう。だから日記を始めたわけだから。
小さな事からコツコツと。目標を低く見積もって、とりあえず今日を生きてみる。たとえ明日死にたくなるようなことがあっても、今日のところは生きてみよう。とりあえず明後日まではがんばって生きてみよう。ヴィンランドサガの最新刊が出るから。
ゴールを設定せずに日々生きているので、いざ考えてみるとどういうことを目標にしていいのか分からない。仕事を頑張るとかいう優等生の背中には蹴りを入れてやるとして、何がいいだろう。今日こそはあの子の連絡先を聞くとか?でもそんな子はいない。積んでたゲームや本をいつまでに片付けるとか?いずれ苦痛に変わるからやめておこう。お金を貯める?給料明細を即ゴミ箱に捨てるほどおれの中の思春期が膨張してきているのでやりがいがない。


あれこれ考えてみたけど結局、こうして日記を書くのが精いっぱいだということらしい。少なくとも達成感はあるので、おれがすべきなのはこれを継続させる努力だ。

最終的にどこに行くのか、どこにも行かないんだろうけど、何もしないよりかは生活に張りが出ている。届きそうにない目標に全てが嫌になってしまうよりは、今の方が良いと思っている。

ごまたまごの中毒性とあの日見たプロレス

貯めに貯めた書類を提出し、上司の嫌そうな顔から逃げるようにして東京旅行に行ってきた。罪悪感などごまたまごの前では無力なのだ。ごまたまご美味しい。完全食。2日ほどごまたまごしか食ってなかった。

加えて思春期特有の行動力を兼ね備えた今のおれは無敵といっていい。来月は北海道にでも行ってやろうかと考えているほどには無敵だ。
コミックマーケットという同人誌即売会に、友達と3人で参加してきた。いわゆるオタクの祭典なのだけど、正直おれはアニメとかあんまり見ないので、周りの人たちがキャラクターがデカデカとプリントされたTシャツを着ているのに少し距離をとってしまう。でも友達2人がそういう服を着て一緒に会場に行くには頼もしく感じる。

午前5時のSAは意外にも人が多い。アメリカ体型のおやじが白くて丸い足の短な犬を連れて歩き、髪を後ろにまとめた人が歯を磨き、子供が目を擦りながらトイレに入っていく。とてもいい。朝の風景がぜんぶ詰まっている感じがする。

プラスチック容器の柿の種を貪っていたらカップ型の乾燥剤が出てきて、昆虫ゼリーのようだと思った。思わぬところで夏らしさが、わさびの風味とともに鼻をかすめた。そういえばざるそばもそうめんもまだ食べていない気がする。実家に帰れば食べられるだろうか。
小学生の頃、カブトムシを飼っていたことがある。向かいの家の友達とその友達の親の車で夕方の森へ採りにいったカブトムシだ。オスメス合わせて6匹ほどカブトムシを捕まえてご満悦だったが、家に帰る頃には虫かごの中はがっちゃがっちゃとハッスルしており、異形たちの互いが互いを貪るようなグロテスクでアクロバティックな交尾にドン引きしてしまった。プロレス技でいうとローリングクレイドルのような状態だった。人同士だとなんだか楽しそうに見えるが、カブトムシだとわきわきわさわさしてて怖くなってくる。ギィギィ言ってるし。そのとき、強くてかっこいいカブトムシも、カメムシやカミキリムシと同じ「虫」なんだと感じて急激に萎えてしまった。もともと虫は苦手な方だったおれの最後の牙城が崩れ落ちた瞬間である。それでも友達の手前、逃がすに逃がせず、健気に昆虫ゼリーを毎日与えて縁側の下で飼っていた。
ある日、昆虫ゼリーが減っていないことに気づいた。腐葉土のうえにカブトムシの姿はなく、夜行性だから土に潜っているのだとはじめは思っていた。けれど一週間ほど経っても昆虫ゼリーが齧られた形跡はなく、水分が完全に失くなって縮んだゼリーが、甘ったるい嫌な臭いをさせているだけだった。
土を掘り起こしてカブトムシを確認したかったが、あの「虫」らしさを前面に出した姿を見てしまった後ではとうてい触れる気にはなれず、ゼリーだけ交換してそのまま夏が過ぎた。
秋になって恐る恐る虫かごをひっくり返してみると、カブトムシも幼虫も何も居なかった。どうやら蓋を閉め忘れたときに逃げてしまっていたらしい。残念半分、死骸を触らないですむという安堵半分で、昆虫ゼリーだけが大量に余った。それ以降カブトムシを飼うのをやめたのだった。


オチがないのでコミケで買った同人誌の話。
道草の雑草を片っ端からタバコにして吸ってみるというなんかすごい本を買ったのだけど、作者の方が軽トラに簡易の家を積んでいてぶらぶらしながら小説で生計を立てているという漫画のキャラみたいな人ですごくいいなあと思った。青井硝子さんという方なので気になった人はまあ調べてみてください

 

ゆきゆきて港区

せっかくコミケに行ったので新幹線のなかでコミケのことを書こうと思ったけれど、疲れと眠気で頭が回らないし何が言いたいのか自分でもよくわからないので、ホテル周辺を散歩した時の無作為なメモの内容を貼ることにする。tokyoは不思議な街ですね。住みたくないけど毎日歩きたい感じです。

以下メモ

 


赤羽橋の下の暗い川

ディスり都歌
パーキングの看板のペンギン
幼児と初老の女性と微笑み手を振る通行人
顔を伏せたまま地下鉄から登ってくる男
マッサージ店の電光広告
ビアホールのミスト
道端のコンビニ袋とホットスナックの串
いきなりステーキ
車道に収まらないバス
空っぽのインド料理屋
東京タワーの展望料高すぎ
個室ビデオと和民
アーケードのないくねった商店街
サッカーのユニフォームを着たキャッチ
走る女子高生
シャッターの半分閉まった理容店
名前のない宅配バイ
テレビは消したけど、部屋の電気も消したほうが良かったな
片方破けた靴底を引きずる人
白い肌と黒い肌の観光客
小さな小型犬と黒いワンピースの主人
黒いハイエース
タウンページのない公衆電話
しかめつらの杖突き老婆と手を貸さずしかし歩幅を合わせる主人
立ち飲み屋の若い女店員
掲示板の訃報通知
灰皿のないコンビニ
甚平を着た欧米人
百地蔵と赤い風車
高いガソリンと白いスカイライン
ビルの谷間の稲荷神社
パトカーと視線
二の腕にも持て余すスマホ
子供の声
寺と空き缶
繋がれた自転車
小さな蚊
ストライプの彼とストライプの彼女
寺とダンスミュージック
足音
赤い毛糸頭巾
手を繋ぐ女の子と女の子
モンスターとスマホを持って誰かを待つ男の子
地下の公衆便所
以前までは〜の英訳を調べて

 

 

 

涙の焼肉

高校野球が盛り上がっているらしい。野球に興味がなくともそのくらいは伝わってくる。地元の県の優勝校なんて今調べて初めて知った。県の野球連盟に58校が加盟しているので、優勝校以外の57校が涙を呑んだことになる。最低でも9人×57校の513名が夏の過ごし方が急に分からなくなってぼんやりしてしまうんだろう。野球に興味がなくとも傷心の高校球児513名を想像するとさすがにかわいそうに思えてくる。県からなにかしてあげられないものか。焼肉に連れて行くとかさ。たぶん喜ぶよ。

書くことが無いのでもう少し高校野球のことを考えていた。スタンドで応援するブラスバンド部、特に管楽器の人はあそこで演奏することについてどう思っているのだろう。薄い金属でできているから、長時間あの炎天下に晒されていたら簡単に歪んでしまうのではないか。そうなるとやっぱり音にも影響が出て、「もう野球最悪〜!」と帰りのバスで仲間と愚痴ってるに違いない。愛着があるだろうに。がんばれブラスバンド部。テレビで映ってたかもしれないと帰宅後録画した試合を確認するミーハーなブラスバンド部もがんばれ。シンバルの上で焼肉しているブラスバンド部は野球部にも分けてあげよう。
あれだけ嫌っていた高校野球だったけど、こんなに肯定的になることができた。おそらくおれが当事者じゃなくなったからだろう。思い出を美化するつもりはないけど、なんだか都合のいい話だと思う。野球が好きだったらと思う場面はいくつもあったけど、別に後悔はしてない。いつかテレビの甲子園に夢中になる日が来るのだろうか。楽しみにしないで待っておこう。